スティーブ・マグネス氏の「コーチングへの科学の応用・導入について」というスライド紹介を中心に、科学トレーニングへの理解を深めるために参考になりそうな内容をまとめています。
研究は測定できるものばかり重視する
マグネス氏のスライドは、研究は測定可能な指標に重きを置きすぎている、としています。
測定できるものといえば、例えばV̇O2max、LT値、ランニングエコノミー、心拍数などです。定量化できるとわかりやすく、近似的にうまくいくので多くの人が使うわけですが、ランニングパフォーマンスを厳密に説明する要素としてはこれらだけでは不完全です。
例えば東アフリカランナーの圧倒的な強さ、ポーラ・ラドクリフの女子フルマラソン世界記録の圧倒的な速さを完璧に説明できる決定的な理論はまだないようですね。もちろん仮説・弱いエビデンスは山ほどあるようですが…。そこらへんの話はこの記事(英語)や下で紹介する論文などに詳しいです。
今はまだ定量化ができないせいで研究として陽の目を浴びにくいが、もっと他に何かあるんじゃないか、ということですかね。(このロジックだと「科学には限界があるので擬似科学的なもの、オカルト的なものに説明を求めよう」的なパターンにならないよう、注意も必要ですけどね。)
セントラル・ガバナー理論
定量化は難しいけどある程度支持されている仮説の一つとしては、体が壊れる前に発動する脳のリミッターによりパフォーマンスが左右されるという「セントラル・ガバナー理論(CGM)」なんてものもスポーツ生理学者のティム・ノックス博士により提案されています。スポ根・精神論とも意外なところでつながっているかもしれず、興味深いです。
マグネス氏も自身のブログ「サイエンス・オブ・ランニング」のこの記事(英語)でV̇O2maxの限界とCGMについて説明しています。ノックス博士の弟子2人の綴るブログ「サイエンス・オブ・スポーツ」(英語)にも平易な解説記事がたくさんあります。
もっと専門的な記事だと、「ケニア人ランナーは脳が違うから速い」という論文の紹介記事がここで日本語で読めます。ノックス氏の原著は「V̇O2maxでなくセントラル・ガバナーが走力の限界を決めていますよ」というような内容の2001年の論文がPDFで公開されています。
なおCGMは賛否両論で、批判もたくさんされてはいます(英語版ウィキペディアのCentral_governor#Criticismsから反論記事へのポインターがたどれます)。
部分 vs 全体
科学者:要素を部分部分に分解してどれが効くのかを抽出する(スライド8ページ目)
コーチ:全体的アプローチ
スライドだけだと実際どんな内容を講演したのかわかりませんが、推測するにこんな感じかと。
- 科学者の場合は、XがYに効果があって、Yがパフォーマンスと関連している、というように変数Xを分離しようとする。しかもコントロールされたラボでの実験は、実際走る環境よりシンプル(トレッドミル、風なし、短期的etc)。
- コーチは使えるものは取り入れつつも過信せず、「いろんな変数が組み合わさった時に実際の結果がどうなるか」を気にすべきで、実践的、マクロ的、長期的な視点が必要。
例を挙げると、反発力のあるシューズだと同じ重さのシューズよりランニングエコノミーが1%改善された、という研究結果が出たとします。でも、比較対象になりうる一般的なシューズより実は重くて、それによって改善分が打ち消される可能性もあります(参考:スプリング・ブレードの記事)。
「速くなる○△□」を採用するべきかの判断方法
マグネス氏の大学時代の教授が授けてくれたという、速くなるかもしれないアイディアを練習に取り入れる際の3つのチェックポイントです。
1.実践・・・実際に使えるの?(スライド9ページ目)
2.研究・・・裏付ける研究はあるの?
3.理論・・・理論的な裏付けができるの?
ちょっと順序は入れ替わりますが、(2)良い結果のデータがちゃんと実験から出ており、(3)データが出た理由を合理的に説明できる理論があり、かつ(1)机上の理論でなく実践的、というのが理想ということですかね。
上の順番になっているのは、コーチから見た優先度がこうだからなんじゃないかと予想。
(スライド15ページ目:現実と机上理論の違い:血中乳酸濃度?)
2と3の違いですが、2○、3✕のケースは、実験したらいい結果が出てきたけど、なんでうまくいったかわからない、でしょうね。たまたま相関する変数は見つけたけど、因果関係があるかわからない、あってもどういう現象が起きているかわからない、的な。こういうデータ・ドリブンなアプローチはまあ許容できるケースもあるのかもしれませんが、正しく理解したい人は理論的な背景も知りたい所かと。
2と3が○でも1が✕なケースは、しょっちゅう見られるような気がします。「この商品は○○博士の研究成果・論文に基づいて開発されました」・・・みたいな謳い方がされていても、評価における統計的有意性(statistical significance)が必ずしも実践的な意義(practical significance)につながるわけではないですから、要注意です。
マグネス氏は自身のブログでも、上の3つの基準でコンプレッションウェアが本当に効果があるのか議論しています。(コンプレッションウェアについては、これまた賛否両論なのでまたいつか書きたいと思います!)
後編につづきます。
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